プールの水 生命線が話題沸騰!水道管の送水が止まり?★画像・動画★ネットの声は?

プールの水 生命線がネット上で話題沸騰しています。

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プールの水 生命線の概要は?水道管の送水が止まり?

プールの水 生命線のニュースが次のように報道されています。

宮城県の気仙沼湾に浮かぶ大島。10年前、船しか交通手段がなかったこの離島では本土と島を結ぶ水道管の送水が止まり、電線も途切れてしまいました。震災から約2週間にわたり、孤立無援となったのです。

 渡辺宜嗣:「10年前、私の初めての被災地取材は、気仙沼大島でした。当時島の人口は約3000人、働き手はほとんど気仙沼のほうに来ていて、島には2000人が取り残されていました。あの時出会った方は10年経った今、どうしているのか、改めて島を尋ねました。そこには人生の意外な展開がありました」

 宮城県の気仙沼湾に浮かぶ大島。10年前、船しか交通手段がなかったこの離島では本土と島を結ぶ水道管の送水が止まり、電線も途切れてしまいました。震災から約2週間にわたり、孤立無援となったのです。

 渡辺宜嗣:「震災の時、完全に孤立してしまった気仙沼大島と本土の間は、2019年4月、この橋によって繋がりました。気仙沼大島大橋の完成は島の皆さんにとって長年の願いでもありました」

 全長が356メートルの大型アーチ橋。橋も完成するなど、落ち着いた生活を取り戻したように見える住民の皆さん。

 渡辺には島でもう一度会いたい人がいました。それは漁業関係の仕事をしていた村上磨さんです。当時、村上さんは津波被害を免れた船で孤立した島民の『命の架け橋』となって物資などの運搬を引き受けていました。

 私たちが島の惨状を聞いて取材に訪れたのは震災発生から9日後。その時、気仙沼港から大島へ運んでくれたのが村上さんだったのです。しかし、取材時には連絡先を交換する余裕もなかったため、手掛かりがないまま人探しは暗礁に乗り上げていました。

 すると、その時…

 渡辺宜嗣:「本当にごめんなさい、この方?」(写真を見せる)
 女性:「そうです…」
 渡辺:「えー!?僕はこの船頭さんに会いたくて探したんです。ところが、よく分からなかった。正直に言うと。で、とにかくあしたここへ取材にもう1回来るのでこの方に本当にえればなと思っていたんですよ。そうしたら…奥さんなの?」

 知人の後ろで顔を伏せているのは村上さんの妻・吉依子さん。渡辺と取材クルーの姿を見て何か特別な思いを巡らせたように感じられました。

 知人女性:「何年前ですかね…病気で亡くなった」
 渡辺:「病気で亡くなったの?」
 知人女性:「何年前だっけ?」
 村上吉依子さん:「6年前…」

 村上さんは震災で津波にのまれ、海を漂流しながらも奇跡的に生還。しかし、震災から4年後、59歳の若さで病気のため亡くなっていました。

 渡辺:「大島は誰もまだ取材に入ってないし、連絡も取れないし、相当皆さんが苦労しているというので、じゃあ、行っていいですか?となって、この船に乗せてもらうことになったんですよ」

 村上磨さんの妻・吉依子さん:「この船が残ったのも色々あって。切り離した船外機(ボート)がどこへ流れていったか分からないなか、偶然に夫の自宅前の浜に2艘がほぼ無傷で見つかった」

 渡辺:「船に乗せて頂いて、行くなら『この物資も運んでくれ』と言われて、僕らは段ボールを沢山なるべく積んで、その横で乗って、島まで来たんですよ」

 最大震度7による津波と火災で電気も水道もストップし、一時は救援も来なかった気仙沼大島。

 住民が避難していた小学校の体育館です。皆さん、着の身着のまま逃げ出して、ここをとりあえずの寝床としていました。

 渡辺:「小学校の水道蛇口をひねっても全く水は出ません。とにかく水が今、大島では困っています。それからもちろん電気はつかないです。夜になりますと真っ暗です。そして、こうしてタンクにプールの水を入れて、ろ過をして飲み水や料理などに使っているということです」

 学校裏手にあるプール。ろ過して利用する水が当時、島の人たちにとって文字通り『生命線』でした。

 渡辺:「大島の皆さんが今、これを飲んでいます…命の水ですね、これは本当に」

 取材中、水を汲みに来た親子と出会いました。現在は大島を離れて生活していますが、震災の経験から水や保存食などの備蓄は欠かせないと話します。

 母親:「やはり水がないと大変ということ。(プールの水の利用は)1カ月ちょっとだったが、とても長く感じられて水道水がでた時は、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています」

 渡辺:「思い出します。ここにテントがありましたよね?それで皆さんがここから水をもらいに来てらっしゃいましたね」

 気仙沼大島の住民・菅原博信さん(68):「テレビで放送してもらって大島という所がプールの水を飲んでいるんだということで、東京からヘリコプターが3機、飲料水だけ持ってきてもらいました。自衛隊が」

 孤立していた住民の皆さんは当時、放送を見ることはできませんでしたが、遠方の知人などから多くの連絡があり、島の状況が全国に伝わったことを知ったそうです。

 そして10年前、水の手配などをしていた男性は現在も気仙沼市の水道部で島の給水管理に携わっていました。

 渡辺:「ああいう津波が何十年かに一回、この三陸沿岸には襲ってくる宿命でもあるわけですが?」
 気仙沼市ガス水道部・菅原康浩さん(51):「私達もああいった災害が起きた時には色んな方法はあるかと思うが、どういう状況でも対応できるように日ごろから訓練して努力していきたい」

 一方で、10年の間に役目を終えたものもあります。

 当時、島民や食料など船いっぱいに積んで走り回った『ひまわり号』。船長の菅原進さんも、震災で九死に一生を得て津波を乗り越えたのち、無償で船を稼働させたそうです。

 『ひまわり号』の船長・菅原進さん(78):「ゆっくり休んであしたもまた見守ってくれよと。なんか返事してくれる感じがするのよ。相棒だから」

 大島の悲願だった橋が開通したことで『ひまわり号』は役目を終え、自宅の敷地に保管されています。

 渡辺:「壊滅的な被害を受けた大島の港です。今はすっかりと整備されました。10年前私たちが乗った船も、ちょうど、この岸壁に到着しました。そんな中、橋ができて気仙沼との定期航路も今、その役目を終えました。活躍したあの船が今、静かに係留されています」

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/

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プールの水 生命線が話題沸騰!★画像・動画★

これが今回のプールの水 生命線に関しての画像や動画です。

プールの水 生命線の動画をどうぞ。

「プールの水」が生命線だった…気仙沼大島のいま

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プールの水 生命線のネットの声は?

プールの水 生命線のネットの声です。

特に反応が大きかったのは大きく分けて3つ。

「プールの水を飲んだとありますが、後輩がその時現場で浄水作業をしていましたが、正確には災害用の簡易浄水器できれいに活性炭等でろ過した水に消毒用の塩素を加え、検査して給水していたので検査していない井戸水よりも安心して飲める水でした。記事にする時は一部を切り取らず、正確な情報を出して下さい。プールの後は沢水を使用する為に山火事で消化剤に何を使ったかも消防署に確認していたそうです。」という意見と
「太平洋から襲ってくる津波と、気仙沼の陸地側から戻って来る津波が、気仙沼大島に乗り上げてぶつかって、すべてを破壊し洗い流して行ったから、かなりの被害が出たそうです。
穏やかな晴れた日に、亀山から見る景色は、まるでネバーランドなのにね。」という意見と
「ANNさん、尺調整か知らんが途中で切るのやめてほしいよ。すごく大事な話だよ。ニュースは伝えるためにあるでしょ?」という意見

どれもなるほどと思います。

また、こんなネットの声もありました。

「そういうやり方もあるのね」
「またデカいの来るから備蓄を怠らないでね」

人それぞれいろいろな意見があるなと
思いました。

個人的にはとても勉強になりました。

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プールの水 生命線おわりに

今回はプールの水 生命線に関して取り上げました。

ネットの声が2つに分けられるくらい
今回のプールの水 生命線は話題沸騰です。

あくまでも個人的意見ですが。

今回プールの水 生命線について取り上げました。
本当に話題沸騰しています。

これからも皆様よろしくお願いいたします。

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プールの水 生命線の共有と関連記事

ここまで見て頂き誠にありがとうございます。

プールの水 生命線の共有と関連記事は下記にございますので
よろしくお願いいたします。

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